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悪魔にされた牧神パンの話―ギリシャ神話から現代まで―

 ギリシャ神話の伝説から その1

 パンフルートの名はギリシャ神話に登場する「牧神パン」に由来します。この章ではこの愛すべき神様について私なりの解釈を加えて書いてみたいと思います。


 まずは牧神パンがこの笛を携えるきっかけになった伝説から…


 牧神パンは「月よりも古い」と言い伝えられるギリシアのアルカディア地方の森奥深くに住み、山の老神トモロスにつかえる羊飼いと羊の群れを守る神です。一説によると、ギリシアのドリュプス王の娘ドリュオペとオリュンポス十二神の一人で伝令の神ヘルメスの間に生まれたとされます。その姿は人間ではありましたが、毛むくじゃらで頭には二本の角が生え、山羊の蹄のついた足をしていたので、パンが生まれたとき母親はびっくりし置き去りにして逃げてしまったほど。一方父親のヘルメスは大変気に入って、幼いパンを野兎の皮でくるみ、神々の集う席に見せに行きました。すると神々も皆その奇妙な姿を見て「こいつは面白い」と喜びました。中でも一番喜んだのは豊穣と葡萄酒の神ディオニュソス(ローマ神話ではバッカスと呼ばれている)だったとか。そこで「すべて(=PAN)の神々を喜ばす」ということでその名がついたと言われています。容姿は奇妙ではありましたが、岩窟や深い木陰など静かな環境を好む、素朴な神様でした

 そんなパンがある日、いつものようにお供の妖精たちと山谷の見回りをしていたとき、シュリンクスという美しい妖精に出会い、見染めます。でもシュリンクスは独身を通す狩猟の女神アルテミスに仕える身だったので、一生結婚はしないと固く心に誓っていました。しかしパンの恋心は日増しに高まるばかり。、ついには執拗なまでに付きまとい始めてしまったのです。パンの熱烈な求婚に困惑するシュリンクス。とうとうある日、力づくでものにしようと追いかけてきたパンに川辺で追いつめられ、捕えられそうになった彼女は必死にアルテミスに助けを求めます。パンが愛しいシュリンクスに手が触れたと思った瞬間、彼女はなんと葦に変わっていました。あまりに突然のことに呆然となるパン。悲しみに暮れる彼の傍らを優しく風が葦の間を吹き抜けると、それは哀しげな音色となりました。まるで彼女の澄んだ声のようだと思った彼は、ひと束の葦を切り束ね笛を作ると、以来身代わりとして肌身離さず持ち歩くようになりました・・・。
 アルカディアの森の寂しい黄昏。彼女を想ってせつなくなると、パンは「シュリンクス」と名付けたその笛を手に取り、熱い吐息を吹き込んではその心を慰めたといいます。


 牧神パンには他にも伝説がいくつかありますが、恋愛についてよく知られたものとしては、妖精ピテュスの伝説があります。これには二つのパターンがあるのですが、最終的に彼女は松の木になってしまう悲恋であることは共通しています。一方では北風の神ボアレスとパンに同時に想いを寄せられ、悩んだ末ピテュスがパンを選んだ結果、ボアレスに岩場で立っていたところを強風にあおられ海へ突き落されてしまう、それを見ていた豊穣の女神デメテルが彼女を哀れに思い松の木に変えてあげたお話。また一方はシュリンクスよろしくパンがストーカー(!)をした結果松の木に変わってしまったお話で、ピテュスを想い、以来松の枝で編んだ冠をかぶるようになったという、松の木が牧神パンの聖樹とされる由縁となった物語です。
 このように普段はおとなしいけど情熱家という性格の定義からか、はたまた「山羊」そのものが性的な多産のシンボルとされていたことからか好色な神様と捉えられている向きがあり、とても残念に思います。このことは後ほどもう少し詳しく触れることとして、シュリンクスとパンとの関係について私なりの解釈を書いてみたいと思います。


 唐突な話ですが、女性の方なら、誰でも好きな人とのキスを夢見ると思います。その反対に、盛り場で酔っ払ったオヤジにキスを強要されたら…?今のご時世、セクシャルハラスメントで裁判沙汰になるかも??ですよね。
 ルーマニアのパンフルート奏者ダーナドラゴミールさんのCDのライナーノートに書かれていた話だったと記憶していますが(間違っていたらゴメンナサイ)、その昔ルーマニアでは女性がパンフルートを吹くことを禁じていたといいます。それはこの笛の神様に嫉妬されるからだとか・・・つまり、シュリンクスが嫌がるから、というわけです。出来るならイイ男の人に吹いてもらいたいということなのでしょうか。
 ここで思い出して下さい。シュリンクスがなぜ葦にならなければならなかったのかを。独身パンの熱愛にたまりかねて逃げ回った挙句に、という話でしたよね?。それなのに、女人禁制の笛だったということは??この矛盾について勝手な解釈ですが、私はこう思います。シュリンクスの本心はパンの優しさも十分知っていた。でも、自分は処女神アルテミスに仕える身、結婚するわけにはいかない。逃げ回った挙句葦になり笛にされたけど、好きな人とのキスを拒む理由はもう何もない。だから笛になったところで話が終わっているのだ、と。
 これは吹き手にしかわからないことかもしれませんが、素朴な音色とは裏腹にこの楽器はかなりの肺活量を必要とします。練習当初はしばらく吹き続けるとくらくらめまいがしたほど。逆に慣れると、リコーダー等の繊細な笛が吹きづらくなってしまったくらいです。それと同時に、常に唇を歌口に軽くタッチし続けなければならないため、その加減がつかめるまでは唇が腫れてしまうことが悩みの種でした。
 それほどの強い吐息(?)と連続キス(??)を必要とするこの笛の主人公が、はたして、吹き手が大嫌いな相手でいいはずがない!!きっと、シュリンクスは牧神パンのことが本当は好きだったのではないか?・・・・そう考えるのは私だけでしょうか?美しい音色はそんな二人の愛のメロディーそのものなのではないかと、この笛を吹く度私は感じています。


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聖なる笛パンフルート―牧神パンと私―目次


パンフルートってどんな楽器?―その姿と名の由来―
悪魔にされた牧神パンの話―ギリシャ神話から現代まで―
音楽と農業の関係―自然のハーモニーと人間と―
パンフルートが響く世界に―牧神パンの想い―
おまけ―牧神パンがくれた恋?―

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