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パンフルートが響く世界に―牧神パンの想い―

 
「偉大なるパーンは死せり」


 ギリシアの歴史家でデルポイの祭司プルタルコス(ブルータルコス)が著した「神託の堕落」という書物の中には、こんな話があるといいます。

 「・・・ティベリウスの御代、パクソイ諸島経由でイタリアに向かう船の船員だったエジプト人タムス(タムース)は、海上でこんな神託を聞いた。『タムス、そこにおるか?Palodesに着いたなら、忘れずに《パーンの大神は死したり》と宣告するのじゃ』と。その知らせは岸辺に不満と悲嘆をもたらした…。」

 この話は後の世に他者によって否定され、「これは《全てにして偉大なるタンムズ(タンムーズ)は死したり》という哀悼の辞を聞き間違えたのだ」ということになっています。この話自体、史実かどうかもわかりません。しかし、科学万能物質主義・資本第一自然軽視の現代においては、実際、牧神パンの存在は「殺されてしまった」に等しい扱いではないでしょうか。万物に神が宿る《八百万の神》の精神は失われ、自然は資源としか顧みられず、人間の好き勝手に失われる一方です。

 全ての存在は、「存在すること自体に価値がある」のではなく、「貨幣に換算した時の価値によって存在が認められる」ものになってしまい、換算値が低い弱者は社会に容赦なく切り捨てられていきます。グローバル・スタンダードの判断基準は常に「お金になるか、ならないか」のみなのです。 しかし自然界はそうではありません。枯葉一枚だってちゃんと循環の輪の中にいるのです。人間のみ、その輪の中から外れ、いや離れよう離れようと必死になって社会を形成してきました。それが、「万物の霊長」として全てを手に入れるための唯一の道だと信じて。

 その結果、この星の全ては汚れてしまいました。戦争によって、化学物質によって、邪な心によって。

 ネイティブ・アメリカンの首長シアトルは、そのことを150年も前に予見し嘆き悲しみました。「・・・風の匂いやきらめきを あなたはいったいどうやって買おうというのだろう?」と。すべてが失われた時、「そして ただ生きのびるためだけの戦いが始まる。」ことを彼は知っていました。1855年に行われた有名なスピーチは、今もその輝きを失ってはいません。


夢の時間《ドリーム・タイム》の想い出


 生きのびるだけの戦争…それらの一部始終を悪魔というレッテルの孤独に耐えながら・・・まるで山羊座の愛の形《孤独な愛》その言葉のままに見つめてきた牧神、パン。

 皆さん、「ゴラン高原」という地名、覚えていらっしゃいますか?そう、かつて自衛隊がPKO活動の一環として派遣されたイスラエルの最北部に位置する地域です。1967年の第三次中東戦争でイスラエルがシリアから奪い、現在もイスラエル領となっています。なぜイスラエルがこの地を確保したがったのかというと、ここにはヘルモン山の雪解け水が湧き出る「バニアス」という地があったため。ヨルダン川の三つの源流のうちの一つだそうです。つまり、イスラエルの大事な水源、もしもここに毒でも流されたら大変なことになります。そのため、イスラエルにとっては死活的に重要な地となっているのです。

 バニアスはもともと「パニアス」と呼ばれていました。その由来はイエス誕生のはるか前、紀元前三世紀のヘレニズム時代(ギリシア文化がこの地まで広がり、栄えていた時代)まで遡ります。今は遺跡しか残っていませんがここにはかつて牧神パンの神殿があり、大切に祭られていました。その当時の地名が「パニアス(Panias)」、つまり牧神パンに関係した呼称だったのです。のちに地域言語がアラビア語に変わり、それにはPの発音がなかったことから「バニアス」と呼ばれるようになりました。

 キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の争いが今も絶えない中東の地も、2000年前には自然を祭る牧神パンの神殿がそこに存在し、平和に暮らしていた時代もあったです。もうその当時のようには戻れないのでしょうか?ゴラン高原には今も有刺鉄線が張られ、地雷注意のマークが残されたままだそうです。バニアスの「ここにかつてあった、牧神パンの神殿の想像図」という立て看板とともに。


牧神の嘆き


 今、私の手元には「フィンドホーンの魔法」(ポール・ホーケン著、山川紘矢・亜希子訳、日本教文社刊)という本があります。この中で登場する、ロバート・オーギルヴィー・クロンビー氏の体験は、まさに《現代の神話》と呼ぶにふさわしいものではないでしょうか。なんと彼は実際に牧神と出会い、その笛のメロディーを聴いたというのです。できることなら、私も本当に一度会ってみたいものですが・・・その前に、会う資格を私自身が持ち合わせているのかどうかいささか不安でもあります。

 ロバート氏にパンは悲哀をこめて―決して威嚇してではなく―語っています。『人間はすべてわしを恐れている』と。「・・・彼は偉大な存在である―動物界、植物界、鉱物界の神、全自然界の神なのだ。彼によって引き起こされる畏敬の念ゆえに、人々は彼の面前に出ると不安を感じるのかもしれない。だがそこには恐怖があってはならないのだ。・・・(中略)『初期のキリスト教教会は、わしを悪魔のモデルに仕立て上げたではないか』。それだからこそ、彼は恐れられているのだ―彼におっかぶされたイメージのゆえに。彼の本当の性質を示すためには、このイメージは取り除かれなくてはならない。」
 ギリシャ神話でのどうもさえない役回りや悪魔のモデルとして蔑まされるのではなく、かといって、揚げ奉られ恐れられるのでもなく、さりげない友人のように自然に、身近に牧神パンが敬われ慕われる時代へ―バニアスの神殿があった時代のように―いつの日にかなってほしいと心から思います。

 もうこれ以上、牧神が嘆かなくて済むように。


生命の力の化身


 いにしえより神話や物語に描かれたパンは、作り手と読み手にさまざまな教えとインスピレーションをもたらしてきました。なかでも、ピーターパンは今日も笛を携え、子供たちの夜に夢を届けています。彼の着ている服の色は美しく輝く「緑」・・・それは自然界に満ちあふれる生命力の象徴。「ピーターパン=牧神パンは好色なセックスシンボル」といっても、それは決して卑猥なことを指すのではなく、産み育てる根源としての「繁殖力」、すなわち「永遠のいのちの連なり」をもたらすごくあたりまえだけど尊ぶべきものを教えているのです(前出、松田義幸氏の説より)。生と、死と、それらすべての現象の本質を司るもの・・・まるで「もののけ姫」のシシ神のイメージですが、この神様のモデルはやはり牧神パンなのではないかと私は思います。角こそ鹿ですが、瞳はあの愛嬌のある黒目ではなく山羊の眼のようですし、ダイダラボッチに変身しては人々に「パニック」を起こさせるし、「シシ」という名前でもイノシシではあるまい(別個に登場しますし)・・・。何より、アシタカとサンの終盤のセリフがそれを物語っています。「・・・甦っても、ここはもうシシ神の森じゃない。シシ神様は死んでしまった。」「シシ神は死にはしないよ。生命そのものだから。生と死と、二つとも持っている。わたしに生きろと言ってくれた・・・。共に生きよう。」と。

 そう、いま「生きている」ということは私たち自身がすでに、牧神パンの本質の一部なのです。道端の小さな花も、小さな虫けらも、巨大なクジラも、地球そのものも、一緒。その想いに私たちが学びを得るとき、未来は少しずつ変わっていくのだという気が私はしています。いにしえを超え、新しい道へと導かれて。


そして・・・パンフルートと共に


 牧神パンの《孤独な愛》。でもそれは決して《冷たい愛》ではなく、むしろ、《見えざる無償の愛》のことであったと私は思います。なぜなら、ここに聖なる笛の音をもたらしてくれたから。ある地では伝統楽器として、ある所では荘厳な響きのパイプオルガンという姿に変え、ひそかに癒しの風を人々の心に届け続けてきた・・・。

 先の章で紹介したシュタイナー農法で用いる調合剤について、にわかに信じがたい話があります。ある種の調合剤に、なんと散布地域の放射能汚染を防ぐ効果があるというのです。放射能や放射線を無毒化する波動を放っているという理由のようですが、その材料はというと、牛の糞や卵の殻・石の粉や植物のエキスなどの自然物のみ。、それらをとある月齢・星座の位置にある時期の定められた時間帯に樽へ入れて、さらに何十分も撹拌するといったプロセスを経て作られているそうです。まるで「魔女の秘薬」のようですが、ともあれ、自然にはまだ人間に計り知れない不思議な力を秘めていることを教えてくれる話ではあります。

 この「聖なる笛」にも、もしかしたらこのようなとてつもない力があるのでしょうか?

 ・・・でも。でも、です。

 もしその力があったとしてもなかったとしても・・・この美しい音色があれば私はもう充分幸せです。この笛に巡り逢えただけでも奇跡だと思うし、感謝したい。そして願わくば、この笛の美しい音色をもっとたくさんの人に知ってもらいたいし、秘められた歴史と牧神パンの想いを感じてほしいのです。日々の暮らしの中で、陽の光に温かさを、風に安らぎを、雨に喜びを、小さな緑にいつくしみを感じる心を社会に取り戻せたなら・・・そのきっかけがこの笛の音色であったなら幸いです。


 ここまでこの笛のこと、牧神パンのことを色々書き連ねてきましたが、いかがだったでしょうか?このHPを筆記するにあたり、いろいろなHPや書籍を参考にさせて頂きました。ここに場を借りて、厚く御礼申し上げます。もし、意見・苦情等ございましたら、ピュアタウンHPトップページのメールまで一言お寄せいただけましたなら幸いです。

 HPを読み進めて頂き、本当にありがとうございました。


 北伊豆の山の上から    やまひつじ  より


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聖なる笛パンフルート―牧神パンと私―主な参考文献(順不同)

「たのしい川べ」ケネス・グレーアム作 石井桃子訳 岩波少年文庫099より「あかつきのパン笛」
「ダフニスとクロエー」ロンゴス作 松平千秋訳 岩波文庫
「ピーターパンはセックスシンボルだった」松田義幸著 クレスト社
「たんぱく質の音楽」深川洋一著 ちくまプリマーブックス130
「土壌の神秘―ガイアを癒す人びと―」ピーター・トムプキンズ、クリストファー・バード共著 新井昭廣訳 春秋社
「パン・フルートの森 わたしのギリシア神話」楠見 千鶴子著 音楽之友社
「フィンドホーンの魔法」ポール・ホーケン著 山川紘矢・亜希子訳 日本教文社刊
ほか。
ウィキペディア・各HPよりの情報は、旧HP立ち上げ執筆当時の物なので、現在は改変・削除されている場合があります。
お気付きの点は下記トップページのメールまで。



聖なる笛パンフルート―牧神パンと私―目次


パンフルートってどんな楽器?―その姿と名の由来―
悪魔にされた牧神パンの話―ギリシャ神話から現代まで―
音楽と農業の関係―自然のハーモニーと人間と―
パンフルートが響く世界に―牧神パンの想い―
おまけ―牧神パンがくれた恋?―

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