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悪魔にされた牧神パンの話―ギリシャ神話から現代まで―

 悪魔にされた牧神パン


 これまで、この章ではギリシャ神話から始まって、牧神パンの魅力をお話してきました。そのルーツは古代バビロニアまで遡り、地球の命そのものを指すほどでありながら、同時に道端の道祖神のようにまつられる身近な神様でもありました。
 そんな牧神パンがなぜ「悪魔の化身」のモデルになったと言われるのでしょうか?それには深い理由があります。

 皆さんは、いわゆる「恐ろしい悪魔」というとどんな姿を思い描きますか?全身黒ずくめ、山羊のような角が生えていて、尖った耳にオオカミのような鋭い赤い目、裂けた口からは牙がのぞき、黒いしっぽ、かぎ爪のついたコウモリのような翼が生えていて、手にも鋭い爪があって・・・といったところでしょうか。このイメージ、実はキリスト教の悪魔、「バフォメット」から来ているところが多いのです。
 「バフォメット」は両性具有で黒い山羊の頭を持ち黒ミサを司るとされます。魔女が崇拝し、その背中やお尻にキスをして忠誠を誓うというのも有名な話。でもこの悪魔はそれほど古い歴史を持ってはいません。というのも、おもにヨーロッパでのキリスト教の普及とともにその姿がだんだんと確立されていったからです。ここからは私が書物から引用した勝手な解釈もあるため、もしかしたら批判する向きもあると思いますが、あくまで牧神パンの側から見たらという前提でお話しさせていただきます。


 人類はしばしば思想の違いから衝突し、悲しい歴史を作って来ました。それは残念なことにやむことなく現在も続いていますが、双方の言い分を聞いてみると、どっちもどっちだということも多々あります。皆さんも歴史の時間に習ったと思いますが(何?忘れちゃった??)、もともと中東で生まれたキリスト教は、砂漠の民のものでした。砂嵐などにさらされる民にとって自然(砂漠)とは「常に立ち向かい、耐え忍ぶべきもの」であり、神とは「それとは別の大いなる存在」という意識で接していたことでしょう。一方、豊かな森林に包まれた地域の民にとって自然(森林)とは、「大いなる恵みを与えてくれる母なるもの」であり、神は「その中で生きている、もしくは自然そのものが神なる存在」という意識で暮らしていたと思われます。この正反対の意識の差は、キリスト教を布教するうえで、大きな障害となったことでしょう。そのため、十字軍の遠征や宣教師の活動の中で、相手に教えを広めるためには、まず、相手の先行信仰―つまり、自然とその中に息づく神々への崇拝―をやめさせる必要がありました。つまり、それらはあなたにとって実は敵(悪魔)であるという認識に変えさせなければならなかったのです。その中で姿が確立していった悪魔の一つが「バフォメット」でした。

 では、先行宗教排除運動の中で仕立てられた悪魔「バフォメット」がなぜ山羊の姿をしていたかというと、先行宗教のエジプト神話のアモンや牧神パンが半獣半神の山羊の姿をしていたこと、あるいは、シャーマンが角のついた獣の扮装で踊り、豊穣を祈る儀式を行うことが多かったことなどがあげられます。また、もともと、家畜としての「ヤギ」そのものが古代のユダヤ教の生贄に多く使われていたため、感謝のしるしとして捧げるものから転じて罪を背負わせる=スケープゴートとなり、ついにはヤギそのものが悪しきものと見る向きが強くなっていったことにもよるようです。それに加えて、ヤギは多産であることから豊穣のシンボル転じて性的象徴とされていたこと(これはパンが好色と位置付けられた理由の一つでもあります)など、いくつかの要因が重なって、「邪神」のイメージをかきたてる要素が濃いがゆえに選ばれた結果、そうなったというのが大きな理由でしょう。

 確かに、ギリシャ神話の中で描かれる牧神パンは穏やかでありながら時に好色で、気性の激しい一面、たとえばエコーという妖精についての残忍な話―すべての男の愛情を軽蔑していた彼女にパンが腹を立て、自身の家来たちを使い八つ裂きにさせたという―もあることから悪魔に仕立て上げるのにもってこいの存在でした。それに加えて自然を崇拝していた素朴なシャーマンたちを魔女に仕立て上げ、排除する理由にもいいし、それらを「退治」したあかつきには布教の成功と英雄としての名誉が待っている…というのであれば、みなこぞって話を盛り立てたのも無理はありません。断わっておきますが、キリスト教そのものには何の罪はないと思いますし、実際素晴らしい教えがたくさん詰まっていると個人的には思っています。ただ残念なのは、だからと言ってそれを無理に押し付けたり、権力を握るために利用された過去があるということ。人の悪意を少しでもなくし、世の中を良くしようと取り組んだ本当に善良な人たちを悪用した輩が、真の「悪魔」なのでしょう。故に私は、図らずもそのイメージのモデルとされてしまった牧神パンに、同情と、深い悲しみを感じざるを得ないのです。



 しかし、牧神パンは今、現代の神話として見直されつつあります。その詳しい話は後ほどゆっくりと・・・。まずは音楽の話に戻ることにしましょう。


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聖なる笛パンフルート―牧神パンと私―目次


パンフルートってどんな楽器?―その姿と名の由来―
悪魔にされた牧神パンの話―ギリシャ神話から現代まで―
音楽と農業の関係―自然のハーモニーと人間と―
パンフルートが響く世界に―牧神パンの想い―
おまけ―牧神パンがくれた恋?―

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