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ピュアタウンとは?名前の由来と私たちの自己紹介


 農園主が循環の《輪》と共存の《和》を描いた近未来小説、
それが「ピュアタウン」です。
タイムマシンで主人公が50年後の世界で出会った未来とは…?
(自費出版ですので現在は購入できません)

 主人公がたどり着いた場所、その名前が「ピュアタウン」(文中では北関東の設定)なのですが、それは場所というより、プロジェクト名と言った方が正しいかもしれません。つまり日本全国、世界各地にその方式のコミュニティーを作ることこそがその存在の真の目的なのですから。といっても、実際に藤井農園がその大それたプロジェクトを現実化しようとしている訳ではなく(かつてはそう思っていたようだけど、というかそもそも就農しようとしたきっかけがこれだった)、現在は現実の壁に翻弄されつつ農業をやっている一農家に過ぎません。


 というわけで(?)以下自己紹介。


 藤井 望(ふじい のぞむ)


1971年(昭和46年)4月生まれ。出身地は千葉県千葉市。正義感が強く温厚な牡羊座のO型。
好きな食べ物・・・・・・・・・・・・・・・チョコレート
好きな果物・・・・・・・・・・・・・・・・・酸味のあるもの
好きな動物・自分の象徴・・・・・・ 狼・豹
好きなこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・歌を歌うこと
好きなアニメ・・・・・・・・・・・・・・・・「未来少年コナン」
好きな小説・・・・・・・・・・・・・・・・・「グインサーガ」シリーズ
憧れ・尊敬している人・・・・・・・・・手塚治虫・尾崎豊
叶えたい夢・・・・・・・・・・・・・・・・・環境型社会・共存共栄の社会


 夢へのまなざし 5〜15歳


昭和51年、5歳。4月保育所に入所。体が弱く風邪ばかりひいていたが、天真爛漫で保育所を抜け出し、警察沙汰になりかけたことも・・・。
昭和53年、7歳。4月小学校入学。勉強は全くせずにひたすら遊んで過ごす。放課後にはクラスで、「藤井君について考える会」を開かれてしまうほどの問題児。動物に興味を持ち、飼育係になって、ウサギ・ニワトリ・イモリなどいろいろな生き物を飼う。
昭和59年、13歳。4月、中学校に入学。機械体操部に入り部活三昧の日々を送るが、多少は勉学に目覚める。ムツゴロウさんのような動物に囲まれた生活に憧れ、この頃から獣医になる夢を描き始める。


 暗中模索の青春時代 16〜26歳


昭和62年、16歳。4月、普通高校に入学。獣医になる夢を目指して勉学にそこそこ励む。しかし、17歳で数学と英語に挫折、獣医を断念する。この頃、環境問題に興味を持ち始める。
平成3年、20歳。一浪を経て、北海道酪農学園大学に入学。北の大地で酪農家になることを志す。しかし酪農に対する自分の考えと現実との間にギャップを感じ、卒業を前にして環境問題に取り組むことを決断する。
平成7年、24歳。旧東洋工学専門学校に入学。野生生物調査法・野外活動術・林業などを学び、様々な野生生物調査のボランティアを経験。
平成9年、26歳。生物調査会社に臨時社員として入社。主に植生の調査を担当、生物に関する知識を一層深める。しかし、就職難のあおりを受け、正社員となれずに退社。


 挫折を越えて 27〜31歳


平成10年、27歳。12月、食品会社に入社。品質管理部門にて働く。組織の中で働く大変さと大切さを学ぶ。この頃、小説「ピュアタウン」の執筆に勤しむ。
平成12年、29歳。4月、食品会社在籍中に小説「ピュアタウン」を自費出版。同年6月に会社を辞め、大学生の頃からの夢であった徒歩での長距離旅行に出発。道中の三分の二は野宿をして、約70日間で北海道宗谷岬から東京渋谷まで歩く。1470キロの道程。徒歩旅行の後、考え尽した末に、「ピュアタウン」の実現を根底に抱きつつ、農業を生業にしようと決意する。
平成13年、30歳。4月、MOA自然農法大学校入学。一年間、無農薬農業の実践を学ぶ。
平成14年、30歳。3月、伊豆函南町田代にて就農。夢への第一歩を踏み出す。


藤井博子(ふじい ひろこ)


1978年(昭和53年)生まれ。出身地は埼玉県川口市。マイペースで堅実な山羊座のA型。
好きな食べ物・・・・・・・・・・・・・・・牛乳で炊いた押し麦がゆ
好きな果物・・・・・・・・・・・・・・・・・いちじく・あんず
好きな動物・自分の象徴・・・・・・ 白いやぎ・あひる
好きなこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・読書(資料収集)・歌を歌うこと
好きなアニメ・・・・・・・・・・・・・・・・「不思議の海のナディア」
好きな小説・・・・・・・・・・・・・・・・・「獣の奏者」シリーズ
憧れ・尊敬している人・・・・・・・・・加古隆(ピアニスト・作曲家)
                     上野水香(バレリーナ)
叶えたい夢・・・・・・・・・・・・・・・・・「ピュアタウン」の実現と、
自然界の声をパンフルートを通じて人に伝えること


 夢へのまなざし4〜14歳


昭和57年、4歳。幼稚園入園。身近な自然に興味を持つ。
昭和59年、6歳。小学校入学。毎年の音楽祭を通じ歌好きに。5年生、担任教諭の影響でパンフルートを知る。6年生、環境問題をきっかけに、環境庁(現環境省))長官になるというとほうもない夢を抱く。
平成2年、12歳。中学校入学。「走る文化部」(?)の合唱部に所属し、希望にあふれた数々の歌に出会う。1年生の頃、当時多発した政治汚職に憤慨し、「本当に大地を守り続けてきたのは農業。ならばそれを支えよう」と方針を転換、農業高校へ。

 暗中模索の青春時代 15〜19歳


平成5年、15歳。農業高校に入学。実際の農作業を初体験する。ブラスバンド部に所属し、アルトサックスを吹く。毎年、弁論大会では農業と社会の問題を訴えるが、実は文章の暗記は大の苦手だった。
平成7年、17歳。7月日韓自然農業交流協会(現NPO自然農業協会)主催第7回自然農業基本会に参加。農業の考え方を越えて生き方についての深い洞察に影響を受ける。
平成8年、18歳。高校卒業。大学進学より現実を知りたいと、和歌山県「蒼生舎」にて一週間研修。同年、知人の紹介でMOA自然農法セミナーに参加。
平成9年、19歳。福島県川俣町「やまなみ農場」にて3ヶ月間住み込みで研修。しかし農業の厳しさと自らの考えに迷いが生じ、挫折。夢叶わぬ悲しみと葛藤に落ち込んで、半年ほど家に閉じこもる。やがて「自分にしか出来ないもの」を求めて手元にあった木製のパンフルートを手に取る。


 出会い、そして未来へ


平成15年、望32歳、博子25歳。博子、4月、古書店で「ピュアタウン」に出会う。8月、出版社を経て望のもとに博子から手紙が届く。以来、手紙・Eメールでの親交を深め、12月、田代にて初対面を果たす。望、その2日後にメールでプロポーズ。博子即諾する。この年、博子は雑楽塾のチャリティーコンサートや、銀座での銀河系岩手フェスティバルに参加。
平成16年、望33歳、博子26歳。博子、げんき畑の「直売所の宅配」システムづくりを担当し、11月にスタートにこぎつける。公私共に忙しい合間を縫って互いに月1〜2回、川口・函南に通う。
平成17年、望34歳、博子27歳。2月、博子、げんき畑を退社。
同年、4月17日、望、博子、結婚。新しい生活がスタートする。
平成18年、8月7日 、長男環樹(たまき)誕生。
平成29年、11月、博子39歳。自己免疫疾患で膠原病の一種である全身性エリテマトーデス(SLE)罹患。農作業から卒業する。
平成31年(令和元年)、ディアフレンドブランド立ち上げ。工芸品の作成と販売開始。


 家族構成

   望………農場主
   博子……望の妻
   良昭……望の父
   美知子…望の母
   環樹……望・博子の長男

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